2011年3月18日金曜日

東北関東大震災

自分の中のモヤモヤが解消されずになかなかブログを書けなかった。

けど、このことは記録に残しておかないといけないと思い、発生から一週間もたってしまったがアップすることを決意しました。

2011年3月11日金曜日。
東北・関東北部を中心にマグネチュード9の大地震。
沿岸部で10mもの大津波が発生し、町・家・人すべてを呑み込んでいった。

震災により命を落とされた方々にご冥福を祈ります。
また、被害に合われたすべての人々に少しでも早く復興できることを祈ります。

毎日、新聞を読むだけで涙が出てくる。
だって状況はひどくなるばかりだから・・・

そのとき私は:
午後、都内有明で仕事中に強い地震発生。
危険な処置中だったためあわてて患者さんの脇に立ったが、思いのほか揺れは強く長かった。すべての治療は中止となり、テレビとインターネットで情報収集。 あまりの被害の大きさにみな唖然。

電車が動いていないので職場で泊まりが決定。職場から家が遠いことを痛感した。家族のことが心配だったけどどうしょうもないので諦めた。携帯も電話もつながらず、連絡はメールのみ。それでも多くの人から心配メールをもらい一人でないことに感謝。

翌日朝、電車が少しずつ動き出したときき職場を出たが・・・
駅であふれかえる人、全然来ない電車、超満員電車、諦めて徒歩
ようやく家族に会えたのは6時間半後でした。

そのとき子供たちは:
エビコは今期二度目のインフルエンザ(B)でImosakuと家にいた。大きな揺れに怖がるも、パパが近くにいてくれて本当によかった。スマイリーは一人保育園に行ってたのでImosakuが確保し、実家へ連れて行った。(ただ、実家は茨城なのでライフラインが水もガズも止まっていた!)

その後Imosakuは:
災害派遣医療チーム(DMAT)のチームメンバーで訓練を受けていたので、つくばで立ちあがった本部で不眠不休で災害地への支援を行っていた。こんなにヘロヘロになって家に帰ってきたのに、先日も静岡での震度6の地震で「出動しなきゃ!」っと息を吹き返したようにまた出て行った。(ワーカホリック?)

こちらでの生活は一週間前とは激変し、
・計画停電で電車はいまだ運休やダイヤが乱れての運行
・お店で物がない(本当にない。オイルショックみたいにみな買い込んでいる)
・ガソリンがない(一番深刻。必要なところに回らないし、通勤もできない人が続出)
・保育園が計画停電が行われるため、時間外保育が短縮され、給食も出ないので弁当と水筒持参
・節電のため、職場内も半分の照明、あらゆるモニターOFF、空調規制

けど、被災地の方々のことを思うとこれくらい我慢しなくちゃって思えるからみんな文句も言わずにやっているんだと思う。だって自分たちが今出来る事って言ったらそれくらいだから。当たり前になっていた現代の贅沢な暮しを見つめ直す機会なのかな。